ジョーカー

気づけば、もう年の瀬。。。

慌ただし過ぎて、えらい更新期間が空いてしまった。

来年も色々と頑張ります。

それはともかく、2019年の間にこの映画については、書いておきたい。

 

泣いた。泣いた。多いに泣いた。

この映画とは私にとって、そういう映画だ。

 

今作では、アーサーが生み出した妄想によって、映像の混乱が産み出される。

ただ、この映画において、アーサーの妄想による、映像の混乱はあくてまでも、映画を楽しむためのスパイスでしかない。そこだけを見ていてはいけない。

そうでないと、この映画の本質が分からなくなる。

 

マイノリティの話なのだ。

アーサーとは、妄想障害であり、世間からは奇異の目で見られる存在として描かれる。つまり、誰からも理解されない存在なのだ。

 

映画における、光とは非常に重要な役割を果たす。「ジョーカー」は光が上手い。

彼が、危機的、孤独な状況に陥る度に、それに合わせた不快な深緑の光や、かと思えば、まるで希望があるかの様な光が彼を照らし出す。

特に素晴らしいのは、彼がジョーカーとなり、階段を降りるシーン。

あれは、本当に素晴らしい。

ジョーカーという孤独、それをよく表してる。

全てを失った彼は、笑うしかないのだ。

笑って、階段を降りながら、人間というものすらも、降りる、つまり捨てるしかなくなってしまったのだ。

このシーンには、一部の現代人にも通ずる何があるのではないだろうか。

私には、それが痛い程伝わる。

 

これは、マイノリティの話なのだ。