シン・エヴァンゲリヲン劇場版

まず、私はエヴァンゲリヲンにそれほどの思入れがあるわけではなく、そしてこの映画はこれまでエヴァンゲリヲンを追い求めてきた人にこそ、捧げられるべきものである。しかし、それでも私自身はこのエヴァが、これまでのどのエヴァより作品的な意味を持つと感じ、心動かされたのは間違いない。

正直であること。これにもう一度向き合ったのが本作と言えるだろう。序破Qの新劇場版は、どこか旧エヴァに比べ、正直さに欠けていた。つまり、庵野秀明のフィルムらしくなく商売のための映画という感じが漂っていた。またそれは、庵野秀明自身が新劇場版をやる意義すら疑わせることと同義だった。

だが、本作ではこれまでのエヴァのイメージ、虚構と現実の楽屋的モチーフを扱うことで最後にエヴァンゲリヲンを意味をもって、終わらせることができのだ。

そして、シンジが碇ゲンドウ碇ゲンドウがシンジに向き合うことで、母性の喪失を認め父性を取り戻した。父性を取り戻したことが、大人になること、でありエヴァンゲリヲンが一歩進んだことであるのだ。エヴァンゲリヲンが一歩進んだことでエヴァはようやく役目を果たし終えたのである。