HOUSE

大林監督二本目。

なんというか、大林監督の「おもちゃ箱をひっくり返したような映画」という作品性を分かっていれば、こうまで見やすくなるのかと驚いた。

まず、映画全体の色が良い。出てくる小物、照明、書き割りまでもがこの映画の見得として見事な役割を果たしている。

そして、所謂あざといほどの「あの時の表情」にも惹かれた。

これもまた見得である。

そして、本作の大きな特徴とも言える、ちゃちな特殊撮影。

前述したが、私はこの映画を見得の映画だと思っている。

手作り感が透けて見える合成技術の数々は、ホラーというジャンルの中に一瞬の「笑い」という余白を生む。

私はかねてよりホラーとギャグは表裏一体のものだと考えている。

それは、伊藤潤二などを見れば分かるとおり、ホラーとは、冷静に見れば、ギャグなのだ。

このギャグというある種の自虐が、ホラーという要素を加速させるのではなく、減速させることで、丁度良い塩梅を生み出している。

このちゃちな特殊撮影という見得をきればきるだけ、映画をより効果的なものにしている。

私はこの映画を、少女が母性を獲得するまでの話だと捉える。

それはラストの池上季実子と鰐淵晴子が対面するまでのシーンが克明に描いているといえるだろう。

特に、池上季実子が乳房を丸出しにしながらファンタを抱くシーンは確信的だ。

このシーンはおばちゃまが単に若返ったのではなく、池上季実子がずっと心の取っ掛かりであった、おばちゃまと一つとなることで母性を獲得したと考えるべきだろう。

その状態での鰐淵晴子との対面。和解するのかと思えばそうではなく、理解できない存在なのだから殺してしまえ!というのが実にホラー的で良い。

かなり意図的に意味が組み合わさった映画だ。

しかし、尾崎紀世彦が若いなぁ・・・